カノコユリ
2021年07月22日
夏花を求めて 肥前国へ
川内峠のノヒメユリは奇麗だよ…という話を聞きましたので、先ずは川内峠へ向かい、帰路、そこここと肥前国を巡ってきました。
何度となく、平戸へは出向いているのですが、お恥ずかしいことに、川内峠には行ったことはありませんでした。
夏真っ盛りでしたが、曇り空でもあり、風も涼しく、とても気持ちの良い散策ができました。
肥前国は、夏花全開! 百合祭り開催中!!
山きよく 海うるわしとたたえつつ 旅人われや 平戸よくみむ
川内峠は、純粋な愛に溢れる草原ということらしい
平尾台も真っ青になるぐらい? ひょっとしたら超えている?
2020年07月21日
カノコユリ 鎮国寺
2019年07月20日
月瀬八幡宮 カノコユリ
月瀬八幡宮 カノコユリ 2019.7.15
呼子の七ツ釜で、コオニユリ(ムカゴの有無は未確認)が、ちょうどいい具合で咲いていたので、ユリの季節到来ということで・・・しかし、ユリの花は、大柄すぎて若干苦手です。ユリの中で好感の持てる花は、ヒメユリ、ノヒメユリ、カノコユリぐらいかな??
この中で、カノコユリは、色合い的に一番映えるユリの花で可愛らしいのですが、いつも佐世保くんだりまで行かねばならないので面倒だなと思っていたのです。しかし、福岡県内でも見ることができるという事を知り、中間市にある月瀬神社へ出向くことにしました。
何と幸運なことに、出向いたその日は、月瀬神社の夏越大祓祭で、神事が行われ、茅の輪くぐりの日でした。これには、本当に驚きました。こんなところで、残り少ない運を使いたくないなという気持ちもちょっとありましたが、非常にラッキーでした。
御社号は初め猫城八幡宮だったそうで、後に宇佐八幡宮境内を流れる月瀬川にちなみ月瀬神社、その後 月瀬八幡宮と呼ばれるようになったということです。
鎮座地の底井野は、唐津海道と長崎街道を結ぶ場所に位置し、福岡藩の参勤交代路で底井野往還となっており、江戸時代、寛永十五年(1638年)に、福岡藩二代藩主 黒田忠之公が、宇佐八幡宮の御分霊を祀ったのが始まりだそうです。
神紋は「右三つ巴」で、八幡神社での三つ巴は、仲哀天皇が崩御したのち、神功皇后が、お腹に子供を妊娠したまま朝鮮半島に出兵したという三韓征伐の話から、巴の形はお腹の中の誉田別命の魂を表すとも言われているそうです。
夏越大祓祭・茅の輪
半年内の罪や穢れを祓い、無病息災を祈願する祭だそうです。
左側には、茅の輪のくぐり方と歌が書かれています
「 水無月の 夏越の祓ひする人は
千歳の命 延ぶと言ふなり 」
この歌をとなえながら、左 右 左 と三度茅の輪をくぐる様です。
右側には、一茶の句があります
「 母の分 も一つくぐる 茅の輪かな 」
母親思いの、なかなか良い句ですね
牛の像があるということは・・・
石階を登っていくと
早速のカノコユリの歓迎
猫城址石碑
月瀬八幡宮の社殿が建つ所は、室町時代に麻生氏の「猫城」と呼ばれる小さな端城だったそうです。
「猫城」の名の由来は、定かではありませんが、「猫が背を丸めた姿に見える」とか、「敵が攻めて来れば高くなり、城より攻め下るときは低くなり、まるで猫のようだ」との言い伝えがあります。
なかなか攻めるにあたり、堅固な城であったようです。
凛々しい姿の狛犬 阿形
吽形 天保3年(1832)の建立のようです
御祭神
品陀和氣命 ・ 息長足媛命 ・ 比咩大神
合祀 菅原道眞命(牛の像の謎が解けました)
月瀬神社本殿で、お詣りを終えて降りてくると
夏越大祓祭の神事が始まっていました。
本日のメインイベント、カノコユリはというと・・・
奇麗に咲いていました
5分咲きぐらいでしょうか
まだまだこれから楽しめそうです。
奇麗なユリです
庭の一角にフウランも咲いていました。
フウランといえば・・・
次なる訪問地が決まりました・・・