紀行

2023年11月23日

終活 大相撲

終活 大相撲 2023-11-22

大相撲20231122No3_R
せいぜい長生きしても、あと20年そこそこかなぁ…
終活として、やっておきたい事は沢山ありますが、その中のひとつに、大相撲観戦というのが有りました。相撲に関してはテレビでしか見たことがありませんし、本物の力士には、中州や天神近辺でしか会ったことがありません。
ぜひとも本物の大相撲を升席で観戦してみたい…ということで、出費は覚悟の上、家族総出で出かけてきました。

大相撲20231122No11_R
入口を入るとすぐに、賜杯や総理大臣杯等々の展示があります。
思っていた以上に相当大きなものでした。

大相撲20231122No8
昔、貴乃花が優勝した際に、フラフラしながら小泉首相が総理大臣杯を手渡し、「痛みに耐えて、よく頑張った!感動した!」と絶叫していたのを思い出します。

大相撲20231122No12_R
この内容で2.000円、高い? 安い? 質素なように見えますが、それぞれにしっかりと味付けされていてそれなりに美味しかった。
年寄り向けかな? 若者にはちょっと物足りないかもしれない…

大相撲20231122No36_R
マスA席からだとこれぐらいの感じ まずまずの位置

大相撲20231122No53_R
写真も撮りたいけれど、取り組みが良く見られない

大相撲20231122No75_R
時々カメラで撮りながら、できるだけ取り組みに集中

大相撲20231122No90_R
取り組み自体では、やる気があるのか無いのか分からないような感じを常に醸し出しているにもかかわらず、熊本出身の「正代」の応援コールが一番すごかった。ご当地九州場所ということで分からなくも無いのですが、異常な熱気に包まれていました。

大相撲20231122No109_R
取り組み自体も面白いけれど、各々の力士の仕切り方なんかも面白かった。テレビ観戦では、取り組みの所しか興味が無かったので、新しい発見でした。何を考えているのだろうか?

大相撲20231122No115_R
直に目の前で見ると同じ空気感も味わえて、迫力が違う!

大相撲20231122No122_R
弓取式も最後までしっかりと見届け、楽しい大相撲観戦だった。死ぬまでにやっておきたい事、ひとつクリア、次は何にしようかな?

大相撲20231122No128_R
取組が終了したことを知らせる「跳ね太鼓」も初めて聞いた。結構大きな音で響き渡っていました。跳ね太鼓には、もうひとつ意味があり「明日も見に来てくださいね!」という意味合いもあるそうで、千秋楽には叩かれないのだそうです。

大相撲20231122No131_R
大相撲終了後は、ベイサイドプレイスへ移動し、カキ小屋で夕食を摂りました。休日前でしたが平日だったので、意外に人出が少なかったかな? ゆったり、まったりすることが出来ました。

大相撲20231122No139_R
博多ポートタワー(70m)美しいライトアップ

大相撲20231122No146_R
気分が良かったので、天神まで歩くことにしました。

大相撲20231122No148_R
中州、西中洲、天神地区は、すでにクリスマス

大相撲20231122No153_R
サンタが沢山集結していました。人形だけどね…

大相撲20231122No158_R
コロナは完全に、ぶっ飛んでいました。
こんなにも人がいるのだなと改めて実感するほどのすごい人出、ベイサイドプレイスが静かだったのは、このせいかもしれない…


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2022年12月26日

黄泉の道

黄泉の道 2022-12-25

黄泉の道_R
例年なら、寒気後の晴天となれば、勇んで九重や英彦山等の雪山へ出かける所なのですが、今期は諦めざるを得ない状況となりました。
先日、冬タイヤとホイールを預けていた久留米タイヤ館が火災で全焼、遭えなく愛車の冬タイヤとホイールは灰塵と化しました。保証はしてもらえるという事でしたので、それなりに一安心なのですが、いつになる事やら・・・今期の冬山は無理なようです。
となれば、地元小郡のご近所歴史散策にでも勤しもうかな?
小郡は古来より交通の要衝で、楽しめそうな遺跡等が沢山あります。
第一弾として、小郡市の史跡散策マップを頼りに「黄泉の道」へ Go!

黄泉の道(小郡)No1_R
井の浦公園スタート

黄泉の道(小郡)No3_R
井の浦1号墳
6世紀後半に造られた、直径23mの円墳で、細かい溝がめぐらされていたそうです。石室やその周辺から、耳飾りや石製の玉類のような装飾品、土器などが見つかっているとのこと。
二段築成のテラスが良く残っていて、主体部は横穴式石室だそうです。

古代体験館おごおり20221214No21_R
出土した耳飾りや玉類の装飾品は、これかな?

黄泉の道(小郡)No5_R
まずまずの敷き紅葉、井の浦公園の紅葉はそれなりに美しかった。

黄泉の道(小郡)No7_R
横隈山古墳 井の浦1号墳のすぐ近く、約50mぐらいかな?

黄泉の道(小郡)No6_R
5世紀中頃に造られた全長31.6mの前方部が狭く短い前方後円墳で、帆立貝式前方後円墳に近いとのこと。円筒埴輪や家型埴輪のかけらが沢山見つかっているそうです。

黄泉の道(小郡)No8_R
横隈山古墳から基山方面 とても見晴らしが良い(標高20~50m位)筑前、肥前、筑後三国の境界として歴史的要所だったことが良く分かる

黄泉の道(小郡)No11_R
横隈山古墳から花立山方面 焼ノ峠古墳(九州地方には数少ない前方後方墳の中で最大)も見える。何か関係があったのだろうか? 宝満川を挟んで、敵か?味方か?

黄泉の道(小郡)No10_R
前日の雪の名残 ちょっとお惚け顔で面白い

黄泉の道(小郡)No12_R
津古方面へ 道端では、ナズナが咲き出した
意外にも薬効があり、熱・下痢・便秘・止血・生理不順・子宮出血・利尿・慢性腎炎・むくみ・目の充血や痛みに効くとされているんだとか

黄泉の道(小郡)No13_R
ダンゴギク? 花言葉「寛容な心」「上機嫌」「恋の望み」

黄泉の道(小郡)No14_R
ナルトサワギク? 特定外来生物指定の厄介者だけど、花の少ない時期、ちょっと嬉しいような気もする。
花言葉「私に罪はない」「つれなくしないで」

黄泉の道(小郡)No18_R
住宅ばかりの殺伐とした街だけれど、こんなに静かな山路があるとは知らなかった。若干寒いけれど、木漏れ日の中を歩くと気持ち良い。

黄泉の道(小郡)No15_R
フユイチゴ 今年も食べる勇気が出なかった・・・

黄泉の道(小郡)No20_R
静かな散策路は、敷き紅葉 雪の名残もあって良い感じ

黄泉の道(小郡)No22_R
弁財天(厳島)神社 初めての山路に初めての弁天様 灯台下暗しだね
太古、津古はその名のごとく海辺であったらしく、その名残で宗像神社より分祀し水辺の神 (農神)として祀られたものと思われているそうで、文正十三年四月上旬(1831)に再建され現在に至っているとのこと。
結構古い社のようです。

黄泉の道(小郡)No23_R
津古弁財天は古墳上に建てられており、脊属(お使い)は白蛇とされいて、昭和三十年代までは笠石と石のすき間に白蛇がいたとのこと。近年すき間が無くなり見えなくなったそうです。死んじゃったのかな? 津古近辺の古墳を荒らされて怒りまくったのかもしれない。

黄泉の道(小郡)No27_R
大行事社
筑前、筑後、肥前の三国の境界地津古の神領及び境界鎮護のため奉斎された社だそうです。

黄泉の道(小郡)No32_R
津古1号墳 4世紀前半に造られた全長42mの前方後円墳 

黄泉の道(小郡)No31_R
昔は隣に2号墳(前方後円墳)と3号墳(方墳)があったそうで、こちらは4世紀初頭に造られたと考えられいるそうです。

黄泉の道(小郡)No33_R
津古1号墳からは、宝満山、大根地山、砥上岳が一望できます。

黄泉の道(小郡)No34_R
黄泉の道からちょっと外れますが、津古駅近くの八龍神社へ

黄泉の道(小郡)No35_R
創建は、嘉元二年十一月七日(1304)ということで、結構古い神社
龍神ということだから、やっぱり津古は古代水運の要衝だったんだね

黄泉の道(小郡)No39_R
鳥居近くの狛犬は古くて風化気味、顔がぼやけている

黄泉の道(小郡)No40_R
天保五年十二月吉日(1834)ということで、190年ぐらい前の狛犬

黄泉の道(小郡)No49_R
拝殿前の公孫樹は結構大きな樹、樹齢300年以上と推定されているそうです。今年はすでに散ってしまっていたので、来年に期待し再来しよう、綺麗だろうなぁ・・・

黄泉の道(小郡)No44_R
拝殿前の狛犬は、新しくて迫力満点

黄泉の道(小郡)No45_R
平成二十七年十二月吉日 最近奉納された狛犬

黄泉の道(小郡)No43_R
御祭神
彦火々出見尊(天照大神三代天孫邇々芸命の御子で、別名山幸彦、神武天皇の祖父)
豊玉姬(彦火々出見尊の妻、海神の姫君)

黄泉の道(小郡)No50_R
連日の雪の影響で、オオイヌノフグリも元気がなく

黄泉の道(小郡)No51_R
ホトケノザもしょぼくれているけれど、畦道の賑やか師たちに感謝

黄泉の道(小郡)No53_R
津古生掛古墳 3世紀末頃に造られた前方後円墳(全長約33m)
宅地造成で完全に破壊され、古墳は見る影もなく、普通の公園になっていました。考えちゃうよなぁ・・・

黄泉の道(小郡)No52_R
主体部に方格規矩鳥文鏡1面、鉄剣1振、ガラス小玉57個、鉄鏃31本、周溝から鶏形土製品3個体などが出土したそうです。古墳時代初頭の津古古墳群を代表する古墳であり、その形態や規模、出土品は当時の北部九州と畿内との関係を考える上で重要なのだそうですが、思いっきり破壊されていて、見る影もなく寂しい限りです。

古代体験館おごおり20221214No15_R
津古生掛古墳から出土した鶏形二重口縁壺形土器は、小郡市埋蔵文化財調査センターマスコットキャラクター「つこっコ」の原型なんだよね

黄泉の道(小郡)No56_R
三国の鼻1号墳 4世紀後半に造られた全長66m の前方後円墳
宝満川浄化センターの辺りで、小郡市最大の古墳だそうです。

黄泉の道(小郡)No54_R
二重口縁壺といわれる祭祀用の土器が約120個も出土し、発掘調査によるとこの壺は古墳の墳丘上にきれいに配置されていたとのこと、他にも管玉と鉄剣、そして珠文鏡といわれる鏡が見つかっているそうです。
黄泉の道(小郡)No57_R
「三国の鼻」は、背振山系から延びて来た丘陵の先端が宝満川沿いの沖積平野に突き出すところで、筑紫平野を見渡せる素晴らしく見晴らしの良いところです。弥生時代や古墳時代の人々にとっても、非常に重要な場所だったのでしょうね。
宝満川を挟んで、花立山と焼ノ峠古墳・・・気になるよね
灰塵に帰した冬タイヤとホイールには落胆しましたが、そのおかげで、郷土の史跡等の楽しい散策をする機会ができて、ある意味、塞翁が馬といったところです。
次はどの散策路を歩こうかな? 楽しみです。
とは言うものの、冬山に行きたい気持ちはあります。
どうしようもないもんなぁ・・・


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2022年08月27日

宗像三大大楠

宗像三大大楠 2022-08-27

平山天満宮20220827No10_R
以前から訪ねてみたいと思っていた、宗像の三大・大楠の樹々
宗像方面に所用が有りましたので、合間を縫っての散策となりましたが、楽しい一時を過ごすことができました。
さすがに武雄の大楠と比べるとやや見劣りしますが、思っていたよりも大きくて立派なものでした。霊気も感じられ、真にパワースポット、心洗われる思いがしました。

横山観音堂20220827No16_R
遠目に見ると横山観音堂の大楠は、孤立樹なのに鬱蒼とした森のようにも見える大きな楠の樹のようです。

横山観音堂20220827No15_R
横山観音堂

横山観音堂20220827No13_R
石仏 十三仏勢揃い

横山観音堂20220827No4_R
横山観音堂の大楠
思っていたよりも大きくて驚いた

横山観音堂20220827No9_R
樹洞にも石仏が祀られています

横山観音堂20220827No11_R
推定樹齢 500年 樹高 26.5m 幹周り 8.2m

横山観音堂20220827No18_R
センニンソウ 今季初見
花言葉は「安全」「無事」etc. なのですが、有毒

横山観音堂20220827No19_R
カエデドコロ 横山観音堂までの道にはいろいろな花が咲いています

横山観音堂20220827No21_R
アレチハナガサ
花言葉「心を奪われる」「芯が強い」

横山観音堂20220827No23_R
ヨウシュヤマゴボウ 終盤でほとんど実になっていました

横山観音堂20220827No22_R
ゴボウというより、ブドウのような果実を付けますが、有毒です

平山天満宮20220827No3_R
平山天満宮 永延2(988)年 大宮司宗像氏能の創建

平山天満宮20220827No17_R
狛犬には、萬延元年(1860)の銘が有りました

平山天満宮20220827No19_R
萬延元年は、安政七年と同じ年で、桜田門外の変などのあった年で改元されました。
萬延は2年間しかなく、不穏な時代の到来といったところでしょうか

平山天満宮20220827No15_R
平山天満宮 菅原道真を祀る天満宮として宗像で最も古いそうです

平山天満宮20220827No10_R
平山天満宮の大楠 後光が射して神々しい

平山天満宮20220827No13_R
推定樹齢 400年 樹高 33.1m 根周り 14.8m
上部は3つに枝分かれし、生命力旺盛な感じ、勢いがある

平山天満宮20220827No23_R
参道や境内は、ヤブミョウガ咲きまくりでした

光岡八幡宮20220827No2_R
光岡八幡宮

光岡八幡宮20220827No5_R
光岡八幡宮の狛犬は陽気な顔立ち(昭和三年の銘)

光岡八幡宮20220827No6_R
目がクリっとして、にやけた顔が、実に面白い

光岡八幡宮20220827No4_R
御祭神は八幡宮なので、神功皇后 誉田天皇(応神天皇) 武内大臣(宿禰) 闇龗神 市来島姫命 素盞鳴命

光岡八幡宮20220827No7_R
一説では、神功皇后、誉田天皇(応神天皇)、比売大神(宗像三女神)の三柱とも伝わるそうです。闇龗神とは水の神様らしい…知らなんだ…

光岡八幡宮20220827No13_R
光岡八幡宮の大楠 絶大の存在感があり、躍動感が凄い

光岡八幡宮20220827No15_R
推定樹齢 500年 樹高 29.5m 幹周り 7.0m

光岡八幡宮20220827No14_R
蛸足のような大きな根は、今にも動き出しそうで、迫力満点!!
あまり時間もなかったのですが、駆け足で宗像の三大大楠を巡り、楽しい一時を過ごすことができました。


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2022年07月24日

走馬灯の向こう ダケカンバの森へ 鹿追

走馬灯の向こう ダケカンバの森へ 鹿追 2022-07-17

鹿追20220717No43R
やっと、ダケカンバの森に出会えた。走馬灯の向こうにはいつもこのダケカンバの森があり、これを背景にして、グルグルといろいろな思い出が廻っていました。
走馬灯の向こうに見える森は、白樺かな?とも思っていたのですが、実際に見てみると、ダケカンバだったことに気づきました。
50年ぶりの鹿追、思い出されることが多々ありますが、記憶違いも沢山あるだろうし、美化されて思い入れが増幅していることもあるだろうし、その一つ一つを確認していく作業も面白いものだと思いました。
つまらない個人的な感傷記事になりますが、興味のある方はお付き合いください。

鹿追20220717No10_R
然別川は、然別湖に源を発する、十勝川水系十勝川支流の一級河川です。子供の頃、カジカやニジマスが良く釣れていたのですが、今はどうなのかな?天気が良ければ友達と連れ立って、然別川にはよく遊びに来ていました。川狩り(川辺でバーベキューみたいな催し物)などの子供会の行事にもよく利用されていました。

鹿追20220717No5_R
「万代橋」だったのか…
鹿追の町中から新得へ向かう途中、然別川に架かる橋は「満月橋」だとばかり思っていました。私の思い違いなのですが、これにはちょっとした理由があります。
「トイレの花子さん」のような都市伝説的な話が、小学校時代にありまして、「満月の夜、満月橋から、満月婆さんが然別川に飛び込んで自殺した。それ以来、満月の夜には、橋のたもとに満月婆さんが立っている。」といったようなものでした。その橋が万代橋だったようで、この橋を満月橋とばかり思っていました。当時から万代橋だったのでしょうが、満月婆さんの逸話ゆえに、満月橋と呼んでいたのかもしれません。

鹿追20220717No3_R
周辺は公園として整備されていました。昔はごろごろとした石だらけの川原だった様に記憶していますが、今はうっそうと草に覆われていました。
河原には、十勝石(黒曜石)がゴロゴロと転がっていたの思い出します。十勝石は、割って整形し、鏃のような物を作って遊んでいました。この鏃は鋭く、釣ったニジマスをさばくこともできました。よくよく考えてみると、古代石器人みたいですね…

鹿追20220717No9_R
然別川の土手には、セイヨウノコギリソウ

鹿追20220717No11_R
なんと、ガガイモが咲いていました。九州と比べて一カ月ほど早い感じです。

鹿追20220717No16_R
クサノオウだと思うのですが、こちらはまだ咲いていたの…といった感じ

鹿追20220717No17_R
ゲンノショウコも早々と咲いていました。北海道と九州じゃ花期が違って当たり前だけど、面白いねぇ…

鹿追20220717No19_R
鹿追神社
町のいろいろな催し物が、神社の境内で行われていたのを記憶しています。
お花見、相撲大会、柔道大会、お祭り、夜店… 子供の頃の楽しい出来事は、鹿追神社で行われていたことが多かったような気がします。

鹿追20220717No21_R
北海道も紫陽花が見頃で、御手水にも紫陽花

鹿追20220717No24_R
鹿追神社の狛犬は、逞しく凄まじい形相で、ちょっと恐ろしい

鹿追20220717No25_R
気合入りまくりの狛犬、なかなかここまでの顔つきの狛犬は見かけない

鹿追20220717No26_R
御祭神
伊邪那岐神 伊邪那美神 天照大神

鹿追20220717No27_R
50年前の当時、神社の神主は、富樫といって、息子は私の同級生でした。現在は、同じ富樫さんでしたが、当時の神主の親戚ということでした。同級生だった富樫の話をしてみたのですが、十数年前に亡くなっていたとのこと、寂しい想いが…
鹿追神社と満月橋(正式には万代橋)はすぐ近くにあります。神主の息子だった富樫に「神主の息子なんだから、満月婆さんの供養をしてやれよ。」などと言って揶揄っていたことを思い出しました。「うちは寺じゃないだよ…」と言っていた姿を思い出し、しばし感傷に耽ってしまいました。

鹿追神社御朱印_R
鹿追神社 御朱印 紫陽花

鹿追20220717No30_R
境内の傍らに、昔の木製のソリが置かれていました。今のようなプラスチック製のソリは、私が中学生になった頃に出回ってきたような気がします。小学生の時には、除雪で出来た小さな雪山にのぼり、このような木製のソリで遊んでいました。

鹿追20220717No31_R
私が当時住んでいた、自衛隊の官舎です。今はだれも住んでいないようですが、50年経ったとは思えないぐらいにしっかりとしていました。この官舎の初代入居者だったので、建設時から工事現場にもよく遊びに行っており、危ないぞといって叱られたものでした。
小学生の時代には大きな家だったように思っていたのですが、今見るとこんなに小さかったのかな?こんなに屋根が低かったかな?という感じを受けました。
当時に比べると、周りの道や庭も小さくなった感じで、町全体がミニチュア化したような錯覚さえ覚えます。自転車で走り回って遊んでいた当時は、広くて大きな町だったのだけど、車で廻ってみるとアッという間に通り過ぎてしまう小さな町に代わっていました。私が大きくなって、自転車が自動車に代わったのだから当然といえば当然ですが、不思議な感じでした。
ひとしきり感傷に耽った後は、然別湖に向かいました。

鹿追20220717No33_R
扇ヶ原展望台

鹿追20220717No39_R
晴れた日には、雄大な十勝平野や日高山脈、さらには太平洋まで一望できるはずなんですが、生憎の天気…それでも十勝平野の一部を見渡すことができました。

鹿追20220717No40_R
走馬灯の向こう側にいつもぼんやりと見えていたダケカンバの森
なぜ私の脳裏に焼き付いているのかはよく分からないのですが、北海道の思い出の背景には、いつもダケカンバの森があります。

鹿追20220717No46_R
小雨降る中でしたが、白樺峠付近には、いろいろな花が咲いていました

鹿追20220717No65_R
雨露に濡れて、シースルー、セクシーな花

鹿追20220717No61_R
初めて見る花、ムグラ系統の花だよなぁ トゲナシムグラ?

鹿追20220717No62_R
トゲナシムグラならば、花言葉「活発」

鹿追20220717No68_R
九州では見かけない柄のバッタ 体の側面に黒い筋がある黄緑色のバッタ
サッポロフキバッタ? フキの葉を好んで食べるんだとさ

鹿追20220717No70_R
エゾシシウド?

鹿追20220717No71_R
まだ開花前、シシウド的で、北海道にあるので、エゾシシウドだよね?

鹿追20220717No57_R
東ヌプカウシヌプリ登山口
天気がよければ、ナキウサギを見に行きたかったけれど、午後から大雨注意報なんだよね、残念…生きているうちに再来できるなら、この次は、ナキウサギに会いに行こう。

鹿追20220717No48_R
道路脇には、紫色の花が沢山咲いていました

鹿追20220717No49_R
チシマフウロ

鹿追20220717No55_R
雨露に濡れて、ちょっとしょぼくれているけれど可愛らしく咲いていました。

鹿追20220717No134_R
九州では、青紫色のフウロソウは見た事が無いような気がする

鹿追20220717No56_R
蕊の感じはフウロソウ独特の感じ、フウロソウの花言葉「変わらぬ信頼」「慰める」

鹿追20220717No41_R
白樺峠なんだけどダケカンバなんだよね、実に面白い
走馬灯の向こうに見えた風景、クマザサ生い茂るダケカンバの森に飛び込みたい、そんな衝動に駆られました。

鹿追20220717No77_R
然別湖ネイチャーセンター いろいろな体験ができるそうで、興味津々

鹿追20220717No74_R
然別湖
天気が悪く綺麗に見えないけれど、正面に見える天望山は、湖に移る影と相まって、「くちびる山」と呼んでいたのだけど、今は違うかな?

鹿追20220717No81_R
天気がまだ持ちそうなので、遊覧船に乗ることにしました。
昔何度か乗ったことがあるけれど、子供にとってはとても退屈だった思い出があります。

鹿追20220717No88_R
然別湖は、大雪山国立公園唯一の自然湖で、標高810mと道内では最も高い場所にあり、最深部は約100メートルなんだそうです。 
湖の周囲は原生林(トドマツ、エゾマツ、ダケカンバ)が取り囲み、太古の自然を今に伝えているとのこと。

鹿追20220717No94_R
然別湖には「白蛇姫伝説」があるんだよね
冷害に苦しむアイヌの人々を助けた女神、白蛇の物語
遊覧船内で流れていたけれど、これは覚えていた。昔はガイドさんがマイク片手に話していたような気がするけど、今は録音されたものが流れているだけかな?

鹿追20220717No99_R
約3万年前の噴火で川がせき止められて出来た「堰止湖」だそうです。
よくそんなに昔のことが分かったなぁ…と感心してしまう

鹿追20220717No103_R
然別湖に浮かぶ弁天島 これは記憶に残っていました

鹿追20220717No106_R
弁天島はパワースポットとなっているみたいで、弁天様なので、金運かな?
冬に湖が凍結した際、渡ることができるんだとか…寒かろうねェ…

鹿追20220717No115_R
然別湖湖畔 ルピナスかな?

鹿追20220717No114_R
雨露を抱え込んで美しい

鹿追20220717No119_R
湖畔にもセイヨウノコギリソウが沢山咲いていました。

鹿追20220717No121_R
ピンク色のもあって可愛らしい

鹿追20220717No130_R
花は茎の上の方にだけ付いちるので、トモエシオガマかな?

鹿追20220717No131_R
螺旋状、船のスクリュウのようで面白い

鹿追20220717No135_R
とかち鹿追ジオパーク
思っていたより小さな建物だったので、ここでいいのか?と思いましたが、内容は充実していました。
案内のお兄さんから現在の鹿追について色々な事を聞いて話が盛り上がり、中の写真を撮り忘れてしまいました。気の良いお兄さんでした。町役場の職員だといっていました。

鹿追20220717No136_R
近くのジャガイモ畑の風景 子供の頃を思い出してしまった。
現在はどうか分かりませんが、当時はジャガイモ収穫時に、トラクターに付けられた鍬の間から漏れた小さな芋は、「小っちゃい奴は、勝手に持って帰っていいぞ」と農家の方に言われていたので、家に持って帰ってジャガバターにして食べていました。最高のおやつでした。小さなジャガイモといっても、九州では普通に売ってる大きさです。懐かしいなぁ…

鹿追20220717No140_R
ジャガイモの花を見てびっくり、ジャガイモはナス科なんだね、ナスの花とそっくり、まったく知らなかった。子供の頃は花になんて興味なかったし、ジャガイモがメインだった。花より団子ではなく、花より芋だった。

鹿追20220717No146_R
十勝鹿追そば しかめん
風の噂で、鹿追は蕎麦で有名らしいぞという話は聞いていたのですが、私が住んでいた当時、蕎麦の話は全くなかった。とかち鹿追ジオパークのお兄ちゃんの話によると以前は数件あったけれど、今では蕎麦屋は一軒になったという事でした。
九州では蕎麦よりもうどん、家の親父は特にうどんが大好きだったので、子供のころ蕎麦といえば大晦日ぐらいにしか食べた記憶が無かったので知らなかっただけかもしれません。

鹿追20220717No143_R
豚丼も食べたかったので豚丼とのセットと…

鹿追20220717No144_R
驚いたことに、ゴボ天そばがありました。福岡では定番のゴボ天なのですが、九州以外の地でゴボ天が乗っているうどんやそばを見るのは初めてでした。しかも私の大好きなささがきごぼうの天ぷら、食感最高!たまりまっしぇーん!!美味しかった。
当時からあったのかな?知らなかった

鹿追20220717No148_R
鹿追そばを食べ終えて出てくると、雨脚が強く土砂降り状態、天気予報通りでした。屋外の訪問場所はほぼ終えていたので良かった、神様に感謝!
道の駅しかおい内のパンダの植え込みは可愛らしかった。

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チョウザメがいたのには驚きました。鹿追町では環境保全センターバイオガスプラントの余剰熱を利用して、2014年からチョウザメの養殖に取り組んでいるそうです。ようと分からんけど凄いことやってるなぁと思いました。

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神田日勝記念美術館
神田日勝は、13年程の短い制作期間、わずか32歳で夭逝するのですが、この時期私も鹿追に居ました。1972年頃かな?没後3回忌ぐらいになるのか、町民会館で展覧会が催されたの覚えています。
小学校の先生に「鹿追にはすごい画家がいたんだぞ、絶対に見てこい」といわれて、友達と連れ立って見に行きました。凄い馬の描写に圧倒された記憶があります。北海道の原野を駆け巡り遊び惚けていた、絵心もなにもない小学生の私でさえ感動する素晴らしい作品でした。
遠い昔の事なので、すっかり忘れていたのですが、NHKの朝ドラ「なつぞら」を見て、全く忘れかけていた記憶がよみがえりました。もう一度あの馬を見たいという衝動に駆られました。

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神田日勝の作品は、ベニヤ板にペインティング・ナイフを用いて描かれているのが特徴だそうです。なんだかよく分からないけれど、素朴な力強さを感じます。

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気に入った作品のポストカードをいくつか購入しました。神田日勝といえば馬の絵なのですが、同じような構図でありながら、それぞれに違った趣があって面白く、特に馬の目が気になりました。

「馬」顔1965_R
「馬」1965年
少し悲し気な目でちょっと憂いているような感じがします。寂しそう…

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「開拓の馬」1966年
悲し気というよりも、優しい眼差しでほほ笑んでいるような感じ、この目は大好きです。子供の頃に見て感動したのは、この絵だったような気がします。違うかな?

「馬」(絶筆・未完)顔1970_R
「馬」(絶筆・未完)1970年
未完成という事もあり何とも言えませんが、どこか虚空を見ていて、表情が無く、生気が無いような目にみえます。死を予感していたのかな?心の中が、なんだかザワザワとして、不安を掻き立てられるような感じがします。

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神田日勝の馬の絵は、文句なく素晴らしいのですが、この「風景」(1966年頃)にも心打たれました。
この風景は、子供の頃くたくたになるまで遊びまわって、お腹をペコペコにすかせて、家路に帰る時に見た風景そのものでした。
洒落たポプラ並木が、松の防風林だったら真にズバリといった感じですが、心象風景としてはポプラの方が似合っています。
道脇に積まれた干し草の山、積みわらというのかな?この感じと夕暮れの陽の光が、たまりまっしぇーん!!
この積みわらは、搔き分けると中に入ることができて、中のわらを整理するとちょっとした秘密基地になるのです。学校では、危ないからということで遊ばないように禁止されていたのですが、我々悪さ軍団はお構いなしにこの中に入って遊んでいました。
午後5時のキンコンカンコン…が鳴って、家に帰ろうと積みわらから飛び出してくると、この風景が広がっていたのです。懐かしいなぁ…

数日にわたり、すっきりとしない天気が続きましたが、概ね良好、満足の行く旅行となりました。
走馬灯の向こうに見える景色は、思っていた以上に美しいものでした。
走馬灯の向こうを探す旅を終えて、これで思い残すことも無くあの世に・・・なんていうことはなく、生きる勇気をもらったような気がします。
鹿追には、絶対にまた来ます。今度は天気の良い時に、ナキウサギを絶対に見るぞ!!


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2022年07月23日

走馬灯の向こう 小樽

走馬灯の向こう 小樽 2022-07-16

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北海道に上陸したのですが、鹿追まではまだ遠く、小樽、札幌で一休みしました。小樽や札幌には何度か来たことがあるのですが、ちょっとした観光程度で、深い思い入れはありません。
コロナの行動制限も緩くなったという事もあり、すごい人出でした。密密密…感染しちゃいそうな勢いでしたが、ちょっと一段落という事で気軽に観光してきました。

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小樽といえば、小樽運河
大正12年に完成、内陸を掘り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴だそうです。

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北海道開拓の玄関口として発展してきた小樽港では、はしけ(台船)を使って荷揚げしていたのですが、取り扱う荷量が多くなり、運搬作業を効率的に行う必要性に駆られ、艀が接岸できる距離を長くするために、海面を埋め立て「小樽運河」を作ったそうです。

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雰囲気の良い運河と散策路

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昔はすごい賑わいだったのだろうなと想像しながら…静かな今もそれはそれで良いものです。

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夕暮れ時、ガス灯がともるとともにライトアップされる石造倉庫群の夜景が綺麗なのでしょうが、札幌での宿泊なのでゆっくりできず、次回の楽しみにしたいと思います。
小樽で一泊というのも良かったなぁ…

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小樽運河倉庫群の中に、見たことのある文字が…

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「びっくりドンキー」こんなところにあるんだと思ってびっくりです。

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運河の散策路に、ツタバウンラン
マツバウンランやムラサキサギゴケに似ているけれど、よく見るとちょっと違う
小樽運河でしゃがみこんで花の写真を撮っているのは、私たちだけでした、何してんの?てな感じかな…

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黄色い班が大きくて、クリッとした目の様な感じ
食べることができて、ポリフェノールを豊富に含み薬効もあるそうです。
花言葉「はかない夢」

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旧百十三銀行小樽支店
雑貨やアクセサリー販売の「小樽浪漫館」となっています。

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ランタンのオブジェは、小樽にお似合い

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旧北海雑穀株式会社
時間が無いので、小樽運河近辺を少し散策しただけですが、趣きの圧建物が沢山ありました。弘前にも通じるような古き良き時代の街並みはいいねぇ…
小樽は、たっぷりと時間を割いて、ゆっくりと味わいたい街です。

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久しぶりに見た「まりもっこり」まだ健在なのかな?

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北一硝子
石油ランプと漁業用の浮き玉が始まりだそうです。

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キラキラな幻想的な店舗や商品は夢の国といった感じかな?

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2022年ラッキーカラーは山吹色なんだとさ
後ろ髪を引かれる思いでしたが、時間もないので、小樽を後にして、札幌へ

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札幌時計台、正式名称は「旧札幌農学校演武場」
こんな所に…思っていたよりも小っちゃいんだぁ…という時計台
クラーク博士の提言により、農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として1878年(明治11年)に建設されたそうです。中央講堂にしては小っちゃいよなぁ…

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テレビ塔が目印、札幌大通公園

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「泉の像」
札幌といえば、大通公園のこの像だよね
いよいよ明日は、走馬灯の核心「鹿追」へと向かいます。
今流行りのフレーズでいうのなら「ちむどんどんする」
走馬灯の向こうにどんな風景が待っているのだろうか…


kattenihanakotoba at 08:50|PermalinkComments(0)