2019年12月
2019年12月31日
久住の十戒(令和元年登り納め)
昨日、一昨日と下界では雨、今日の天気は晴れ時々曇り…ということは、晴天下での新雪を纏った久住山の姿を拝見できるはずだと思い込み、2019年度登り納めも兼ねて牧ノ戸へいそいそと出かけましたが…
登山口に雪は無し… 途中の道路にも全くなかった…
雪じゃなくて、雨だったんだ… 気温が高かったのかな?
天気が良ければ、霧氷だけでもいいかと思い直し
霧氷もいまいち…
とりあえず、沓掛山にご挨拶
さすがに、シモバシラは堪能できましたが
踏みつけると、シャリシャリと音がする前に、下土がグニュとなる感じでちょっと気持ちが悪い
登るにつれて、霧氷もしっかりと付きはじめ、徐々にいい感じになってきた。
扇ヶ鼻分岐以降は、シモバシラもシャリシャリ… しかし、ガスがすごい
避難小屋もガスの中、風も強い
重量級の私も飛ばされそうになるくらい、立っているのがやっとのくらいでしたが、何とか頂上を踏むことができました。
こんなところに長居はできない… 下山しようとした瞬間、急に陽が差し込んで…
雲が割れ、モーゼの十戒のような情景に…
とても奇麗な情景でしたが、一瞬でした… 初めて見た… 神秘的…
風が強くて雲の中に潜り込んだのかな?
とにかく、風が強く寒かった、雪が降っているわけでもないのに、帽子はこの有様…
久住の十戒の余韻を楽しみながら降りてくると、霧氷のミヤマキリシマ
ミヤマキリシマの雪の花も乙なものです。
登りの時はあまり気にしていませんでしたが、なかなかの霧氷
ふと足元を見ると、葉の周りに霜がついて
霜が輪郭をかたどっていてとても奇麗
こんな風になるんだなぁ… 新たな発見でした
いろいろな種類の葉がありそれぞれに面白い
馬酔木も赤い蕾と霜で愛らしい
寒そうだけど愛らしい
朝よりは光があるので、
ガスの中の残念な山行ではあったけれど味のある霧氷… いいねぇ…
最後の沓掛山の登りにかかると…
陽が差してきた
振り返ると、樹氷を纏った山々が…
扇ヶ鼻もきれいだった。
頭に雲を載せているけれども、三俣山もいい感じ
不思議なもので、下山すると、晴れるんだよなぁ…
今度はタイミングよく登りたいものです
涌蓋山にも見送られ、それなりに楽しい、令和元年の登り納め山行となりました。
感謝! 感謝!!
2019年12月30日
花立山の謎?
今日は、午後から天気が崩れるらしい、手軽に近場でいつでも撤退できる山へ… ということで、我が家から最短距離の花立山へと向かいました。
花立山は、小郡市(旧筑後国)と筑前町(旧筑前国)にまたがり、山隈原の北、平地に孤立する独立峰です。
南の筑後国側(小郡側)からみると、霊峰宝満山の前におかれた「花立て」のように見えることから花立山と呼ばれ、筑前町では「城山」(しろやま又はじょんやま)と呼ばれているそうです。山頂に築かれた山隈城は、筑前国側の城のことだったからということで、このような呼び名の違いがあるようです。一つの山に二つの呼び名というのも謎?かもしれませんが、もう一つ納得のいかない謎があります・・・130.4 or 130.6???
城山公園スタート
山頂に向かう前に、花立山穴観音遺跡へ向かうことにします。
130m程の低山なんですけど、それなりの登山道風景でしょ?
結構山深い感じもしますよね…
いつものクサイチゴ…
林中には、花らしいものはなかったなぁ… 花じゃないけど…
「花立山穴観音古墳」
花立山の南西斜面を中心に形成されている「花立山古墳群」は、現在300基もの古墳が確認される県内でも最大級の群集墳だそうで、その中でも県史跡の「花立山穴観音古墳」は、古墳時代終末につくられたとみられる古墳群の中でも唯一、当時の原型に近い形で残っているんだとか。
石室の壁面には、線を刻みこんだ「線刻」という装飾が見られ、装飾古墳としても有名だそうです。
地元では「穴観音さん」と呼ばれていて、中には沢山の仏像が安置され、親しまれてきたそうです。私には、線刻は確認できませんでした。
入口の岩は意外に低くて、出入り二回とも頭を打ちましたので、要注意です。
前方後円墳で、造られたのは6世紀の終わり頃で、地域で最後に造られた前方後円墳として、当時の社会の復元に非常に大きな意味を持つ古墳だそうです。
なかなかの深山風情…
花立山正面道に戻ります。奇麗に整備されています。
城山四国第三十二札所の祠
八十八か所あるのかな? 四王寺石仏みたいに三十三か所?
山頂までの長い階段
春になると桜の回廊の階段となります。
ムラサキカタバミ 殺風景な冬枯れに色を添えて…
スイセン まだほとんどは蕾でした
早く春が来ないかな? 桜の回廊が待ち遠しい…
日方神社
花立権現様かな?
裏に「花立山神諦普賢菩薩」の碑…? 知らんかった…
山頂からの展望は、低山ではありますがなかなかの絶景
基山と九千部山方面
山隈城跡の碑と説明版
山隈城は、「筑後川の戦い」「大原合戦」「大保原の戦い」などとして知られる南北朝時代の菊池氏と太宰少弐氏との戦乱の拠点となったところでもあります。
山頂に築かれた筑前国側の城のことなので、筑前町からは城山なのです。
秋葉神社
山隈城本丸跡に二つの神社、日方神社と秋葉神社の二社があります。
笠地蔵ならぬ。帽子地蔵… 無事に年越しできますように…
大山祇神 隣は何?
二の丸跡 この先に愛宕神社があります。
花立山山頂には、合計、神社が三社あるのです。
愛宕神社の後ろに二等三角点があるそうです。
ここで、花立山の謎が解けました。
いろいろな説明版には、花立山の標高は、130.6mと書かれているのですが、国土地理院の地図には、城山130.4mとなっているのです。
山隈城本丸のあった山頂より低い二の丸跡に三角点があるので、国土地理院の地図には、130.4mとなっていたのでした。しかし、山名は城山ということで、花立山の採用ならず、筑前と筑後の狭間での折衷案ということなのかなぁ…?
実質は、花立山130.6m、公的(国土地理院的)には、城山130.4m(ちょっと低い)…???
焼ノ峠古墳へと向かう途中、コシロノセンダングサ
ハコベ
スミレ 春の花が咲き出して何だか嬉しい…
砥上岳を背景にしたサザンカ
なかなか奇麗
宝満山、砥上岳をバックに、焼ノ峠古墳が姿を現しました。
焼ノ峠古墳
古墳時代前半(3世紀後半)の前方後方墳で、全長40m。
前方後方墳としては九州最大です。当時この地方一帯を治めていた首長の墓と考えられています。
古墳上からの景色は最高。正面に宝満山、砥上岳
左に、基山、九千部山
右に、古処山、目配山
後ろには、花立山(こちらから見ると城山かな?)
降りてくると、ホトケノザ
ナズナ
オニノゲシ 元気に奇麗に咲いています
ヒメジョオン 結構賑やかに咲いている
ふと横を見ると、金色の竹が… 金明竹? まさか 孟宗金明竹??
淡い緑と黄色があるようにも見えますが… 竹の節と節の間に交互に現われて… 違うよな??
もうちょっと早かったら、見事なメタセコイア並木が見れたんだけど… 残念
敷紅葉ならぬ… 敷メタセコイア もまずまずかな?
年末。鴨たちの井戸端会議??
何話してるんだろうか? ちょっと気になる…
花立山の山中にあった仏像かな?
城山四国巡礼札所関係の仏像かな??
早く春にならないかな… ここからの桜の風景も最高なんだけどなぁ…
実に、待ち遠しい・・・
2019年12月29日
四王寺山 セリバと城門(北部偏)
先日の四王寺山石仏巡りの際に、次は何にしようか…?
石仏の次は、城門巡りなんてどうかな?ということで…
四王寺山の山城防衛のための城門は、9つあるそうです。
太宰府市側(南部)に、「水城口城門」「坂本口城門」「観世音寺口城門」「大宰府口城門」「原口城門」の5つ。
宇美町側(北部)に、「小石垣城門」「北石垣城門」「宇美口城門」「クロガネ岩城門」 の4つ。
今日は時間が無いので、とりあえず北部宇美町側の「小石垣城門」「北石垣城門」「宇美口城門」「クロガネ岩城門」を巡ってみたいと思います。
セリバオウレンも始動開始・・・
悠久の森からのスタート
鮎返りの滝
大好きな「石仏20番札所 三宝荒神」凛々しいお姿です。
冬枯れに寂しげですが、ヒメジョオン
赤が目を引くクサイチゴ 寂しいけれど嬉しい花たちです。
「小石垣城門」(城外から)
舗装道路が途切れるこのあたりが「小石垣城門跡」だそうです。
「小石垣」
水害で流失し復元された東側石垣
西側石垣は流失していて少ししか残っていません。
結構大きな石です
礎石も残っています
(城内から)
もうすぐお正月、羽付きの羽のようなクヌギ
小石垣城門跡から「北石垣」へ登るルート、結構な急勾配ですが割と短い距離です
「北石垣城門」 この凹んだあたりが城門跡
少し西方向へ登って少し下ると「北石垣」
「宇美口城門」(城外より)
百間石垣の所にあった城門で、北向きの城門として、重要地点であったろうと考えられているそうです。
(城内より)
四王寺川の川底から発見された大野城の宇美口城門礎石は、四王寺県民の森管理センターにあります。
しかし、いつ見ても百閒石垣はすごい
攻めて来て、この石垣に遮られたら、途方に暮れちゃうね
「クロガネ岩城門」(城内から)
百間石垣から野外音楽堂へと向かう土塁沿いにあります。
(城外から)
城門は7世紀後半の築造だそうです
江戸時代の絵図にも「クロカ子岩」「門ノ石スエ」などの表記がある場所で、以前から城門の可能性が指摘されていたそうです
城門の掘っ立て柱の門柱に据えたとみられる石材、扉の軸を受ける穴かな?
ちょっと寄り道、セリバオウレン
昨年の今頃は咲いていたので、ひょっとしたら今年も…
開花? 開花準備中? 3株ほど見つけることができました。
この3株については、正月明けぐらいが見頃かな?
次々に出てくるだろうけれど、急がなくても、2月になれば沢山咲きます。
2019年12月24日
三国志 九州国立博物館
三国志 九州国立博物館 2019.12.22
朝から雨、ちょっと気になっていた、九州国立博物館で開催されている「三国志」を見に行くことにしました。
この歳になって、冬期の雨の日の山行は自殺行為なので…
実をいうと私は、三国志にそれほど入れ込んでいるわけでもなく、吉川英治の三国志を昔読んだことがあるくらいです。曹操、劉備、孫権よりも、関羽、張飛、諸葛亮孔明といった脇役の方が好きでした。しかし、実際に行ってみるととても面白かった。もう一度読み直そうかな…? なんて思うくらいに惹かれるものがありました。
写真撮影OK!ということで、非常にたくさんの展示がありましたが、面白そうなものだけピックアップしましたのでご紹介しましょう。
入場するとすぐに、明時代(15~16世紀)の関羽像があります。
武神として尊崇を集める関羽はかっこいい! 気合の入った迫力ある顔つきは、笑わないラガーマンとして今年注目された稲垣啓太選手に何となく似ている…
玉猪(後漢時代・2世紀)
玉製の豚で、死後の世界でも豚肉が食べられるようにと埋葬時に手に握らせたということです。中国人は、昔から豚大好きだったようですね。
壺(青銅製、金銀鍍金、ガラス象嵌、前漢時代・前2世紀)
劉備の先祖、漢の中山王の酒壺だそうで… 豪華絢爛、こんなんで酒飲んでみたいよなぁ…
豹(前漢時代・前2世紀)
この豹は美しかった。2000年以上も前の作品とはとても信じられない。
多層灯(後漢時代・2世紀)
死後の世界を表現したものだそうです。
酒樽(後漢時代・2~3世紀)
豪華な埋葬品、酒好き? あの世でもよっぽど酒が飲みたかったかな?
儀仗俑(後漢時代・2~3世紀)
豪華な騎兵に守られた車列。迫力ある馬の表情なんかすごいなぁ…
青銅器でこんなのが作れるんだから… すごい鋳造技術ですよねぇ…
偏将軍印章(後漢時代・1世紀)
志賀島で発見された、漢から奴国に与えられた「漢倭奴国王」の金印みたいなものかな
諸葛孔明が10万本の矢を調達した時の場面? 単なる戦闘場面? どちらにしても迫力のあるジオラマでした。
説唱俑(後漢~三国時代(蜀)・2~3世紀)
本日一番のお気に入りです。何とも愛嬌のある顔で…
このような異形の芸人を説唱や俳優と呼んだそうです。当時の芸能人、芸人ですね。
鎮墓俑(後漢時代・1世紀)
長い舌を胸まで垂らし、左手に毒蛇を握り、超能力で邪気や盗賊から墓を守るために副葬されたものだそうです。
ちょっとおとぼけ顔で… レレレのおじさん風? 墓を守りきれたんかな?
石牌「魏武王常所用挌虎大戟」(後漢~三国時代(魏)・3世紀)
「魏武王」こと曹操の墓発見に導いた石の札ということです。
罐(後漢~三国時代(魏)・3世紀)
曹操高陵から出土した最古の白磁
金製獣文帯金具(後漢時代・2世紀)
金粒や貴石象嵌で飾られ細かい細工です。
揺銭樹(後漢時代・2世紀)
不老不死の西王母、仙人、約400個もの銅銭が飾られているそうです。
揺銭樹台座(後漢~三国時代(蜀)・3世紀)
辟邪という架空の動物で、侵入者を威嚇し、墓主を天上世界へと導くそうです。
迫力ある龍のような顔立ち、好きだなぁ・・・
蝉文冠飾(西晋時代・3世紀)
粒金を用いた超絶妙技巧の細かく美しい作品なのですが、何故蝉なのかというと…
古代中国人は、神仙思想から、「含蝉」といって、死ぬときに蝉を口に含ませられたそうです。
蝉は、土の中で長い期間すごし、羽化して自由に空を飛び回ります。それを不老不死の仙人になぞらえたということなのですが… ちょっと嫌だねぇ…
文化交流展示室では、「縄文王国やまなし」ということで、縄文式土器や土偶の展示もありました。ここも撮影OK!
山梨県から、こんなにたくさんの縄文式土器が出土していたなんて知らなかった。
縄文式土器は、荒々しくてかっこいいよねぇ
縄文人の美的センスは抜群です
土偶の展示もありました。
いろいろな土偶の表情は面白かったですよ。
ほのぼのとしていいねぇ・・・ 好々爺
宇宙人的な顔
見ていて飽きない
何怒ってんだか?
いろいろな種類があり面白い
古代人の想像力、ユーモア etc. が感じられる楽しい催しでした。
また、三国志関連として、長崎市、興福寺の関帝像の展示もありました。
武神、軍神として知られる関羽ですが、
財神としても祀られているようで、
興福寺は、中国系商人らによって建てられた唐寺ということもあり、
興福寺の関帝は、武人というより、商人的な感じがします。
あまり期待していなかったのですが、「三国志」なかなか面白かったです。
日本人は、三国志が好きな様で、沢山の人出でした。
「三国志」は、令和2年1月5日(日)までなので、興味のある方はお早めに!
2019年12月21日
基山 土塁巡り(おまけつき)
基山 土塁巡り 2019.12.21
先週は四王寺山石仏巡り、今週は何にしようかな…?
結果、Familiar Mountain の基山、土塁巡りすることにしました。正確な土塁跡というわけではありませんが、できうる限り近い所を歩きました。
水門からのスタートですが、相変わらず、2018年水害の影響で通行止めです。 この水門横の林道が、南門跡(未確定)のようです。
住吉神社も相変わらずの状態
水門からの水の流れは変わってしまったまま…
集められた神社の残骸も変わりなしでした。
可愛らしかった狛犬たちも野ざらしのままでした。
林道は通行止めでしたので… 通行止め看板横の壊れた階段跡に取り付きました。
なんちゃって… 何とか取り付くことができました。
東南門跡にも寄ろうかと思いましたが、登山道が崩れており、木段は浮いていました。右は崖なので今回はパスしました。
米倉礎石群
鐘撞堂跡
つつみ跡
四王寺山にある鏡ヶ池みたいな感じだったのかな?
つつみ跡の近くに気になる木があります。一風変わった、迫力ある枝ぶり?幹ぶり?
この先に続く尾根が東南門から続く土塁跡だと思います。いつか行ってみようかなと思いつつも相当に荒れてます。
今更ながら、土塁跡の案内
東北門跡
城門跡の中で、唯一門礎(城門の礎石)が確認されているのが東北門だそうです。
裏から見ると黒いビニールの土嚢のような物が見えますが、ここに礎石が埋め直されています。以前は、むき出しだったのですが、保存のためなのでしょうね。
東北門跡の横を上がっていきます。
非常にマイナーな道なのですが、蜘蛛の巣もなく結構踏まれているのだなと思いました。
東北門跡から来る分にはいいのですが、北帝門から下ってくる時は、ここで左折です。以前は何もなかったので、直進して失敗したことがあります。同様の人が多かったのでしょうね、しっかりと矢印が付けられていました。
北帝門跡
少し下ったところに石垣が残っています。
結構大きな石です。
北帝に向けて藪の中を駆け上がります。
この辺りは、一面のクサイチゴ畑です。
イズセンリョウ
北帝
福岡県と記載のあるこの礎石は何だろうか? 境界石のような物かな?
ススキの中を抜けると
秋にお婆さんたちが集うところに出ます。
北帝を振り返る… 意外に距離ある感じ…
すっかり冬枯れの草原
いものがんぎ(坊中山城跡)
基肄城のものではなく、戦国時代の山城に特有の堀切だそうです。
山頂からの風景はちょっと秋色が残っており、それなりの雰囲気があります。
基山山頂
たまたま石
表記としては、麗々石、玉々石、霊々石…とあるのですが、霊々石が一番霊験あらたかな感じがするので、これからは、「霊々石」と呼ぶことにしよう…
天智天皇欽仰碑
ヤドリギ
他の樹木の枝や幹に根を差し込んで、水や栄養を横取りする寄生植物だそうで…
鳥の巣みたいだけど…ちょっと怖い植物…
山頂からの筑紫平野の眺望は、いつ見ても気持ちんよかです。
我が町唯一の山、花立山が浮島の様に見えます。ちょっとかっこよかです。
ノコンギク?
粟島大明神
婦人病治癒を始め、安産、子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神様だそうです。
ハナミョウガの実
沢山ありましたが、ま いっか…と思い、撮らなかったのですが、やはり一枚は… と思い直し撮ってしまった。
冬枯れの山道を気持ちよく降りていきます。
林道と出合い、登山口まで降りてきました。
水場のお地蔵さんに手を合わせ…
水門周りの復興は
まだまだですね・・・ 早い復興を望みます。
里に下りてくると、ヒメジョオン 年中咲いている感じだよね…
シマカンギク 終盤近くなってきたかな?
ホトケノザ なぜか冬に向けて、元気一杯!
ハキダメギク
コセンダングサ
コシロノセンダングサ
コセンダングサにそっくりですが、頭花には白色の舌状花があるので、コシロノセンダングサでしょう。
ナズナ
場所を変えてビックリ
サツマイナモリが奇麗に咲いていました。
天気は曇りでいまいちだったけれど…
意外にいろいろな花と出合えて 満足! 大満足!!
博多駅 クリスマス イルミネーション (おまけ)