2019年03月
2019年03月27日
杷木探訪 菜の花と普門院
岩屋神社の帰りに、ちょっと道草、杷木の街を楽しんできました。
道の駅原鶴で、菜の花を見た後、普門院を訪ねました。
菜の花 (道の駅原鶴)
道の駅原鶴の国道386号を挟んだ向かいの広い畑に、一面黄色い絨毯を敷いたかのように菜の花が、咲き誇っています。
時期的には、満開の時期をちょっと過ぎていたような気もしますが・・・
まだまだ見ごたえ十分です。
普門院
正式な名称は、廣大山神宮寺普門院だそうで、天平19年(747)に、聖武天皇の勅願により、行基が創建したと伝えられているそうです。
弘法大師も、唐から帰国したおりに、行基菩薩の業績を慕って訪れ、真言秘法を修したという立派な由緒と長い歴史を持つお寺です。
山門横に、布袋様 愛嬌があってなかなかいい
普門院本堂は、鎌倉時代建造で福岡県内最古の仏堂建築物とされ、国指定重要文化財だそうです。
普門院の貴重な寺宝の数々は度重なる水害や兵火でほとんど失われたが、本尊だけは千年以上の歳月、大切に守られてきたとのこと。
平成29年7月の九州北部豪雨の影響もあるのか、若干傷みがありますが、歴史を感じさせる重厚な本堂です。
扁額 「普門寺」
国東半島の富貴寺を想わせる本堂です。
境内には、県指定天然記念物のビャクシンの木があります。樹高7.6m、胸高周囲2.6m、樹齢は約350年で、斜めに生えていて、盆栽のような味わいがあります。
桜が、綺麗に咲いていました。
2019年03月26日
岩屋神社
ゲンカイツツジ満開であった岩屋神社一帯は、英彦山・釈迦岳・大日岳一帯の火山活動と風化浸食によってできた安山岩質集塊岩の林立した奇岩群と窟群が形成する山地で、耶馬日田英彦山国定公園に指定されています。また、権現岩、烏帽子岩、見晴岩をはじめとした奇岩は、福岡県天然記念物にも指定されているそうです。
岩屋神社本殿は、国重要文化財だそうで、なかなか面白そうな神社です。
岩屋神社本殿は、国重要文化財だそうで、なかなか面白そうな神社です。
岩屋神社
岩屋神社は、中国・北魏からの渡来僧「善正」が修行場「日子山(彦山・英彦山)」を開いた翌年の532年(継体天皇26年)に開かれ、空から降ってきたと伝えられる「宝珠石」をご神体とし、神仏が降臨する神聖な場所として修験者の重要な修行場だったそうです。
鳥居をくぐるとすぐに、県天然記念物の大ツバキ(熊谷)があります。高さ約18m、幹周り約1.8mので、落ちた花は、必ず花芯を上にして落ちて地上で再び咲いたようになるといわれる不思議な大ツバキです。
落ちた花は、写真に収めなかった・・・残念、次回の課題としよう
境内に入ると樹齢600年とも700年ともいわれる高さ約36m・幹周り約6mの大公孫樹(県天然記念物)があります。役行者小角が岩屋で修行して帰る時、刺した杖が芽生えてこの大公孫樹となったとの伝説があるそうです。季節外れで、今は枯れ樹のように見えますが、秋のシーズンにはぜひとも訪ねてみたいと思いました。
階段を上り詰めると首無し地蔵(千体地蔵・五百羅漢)です。明治維新後の神仏分離令、廃仏毀釈によって、仏像は破壊され谷底に投げ捨てられたりしました。
その後、仏像・石塔などが、村人によって、川からわずかに拾い出され安置されたのですが、石像のほとんどには、首がありませんでした。 何とも痛ましいことです。愚かなことをしたものです。
お地蔵さんの周りには、ゲンカイツツジが咲き乱れます。(2010年撮影)
馬の首根岩と洞門を通って、本殿に向かいます。
馬の首根岩は、大きな一枚岩で、洞門は江戸時代末に山伏によって彫られたものだそうで、よくわからなかったけれどタガネの跡が残っているそうです。耶馬渓の青の洞門みたいなものかな?
洞門を抜けると、岩屋神社本殿が姿を現します。
本殿前の鳥居
岩屋神社本殿は、元禄11年(1698)、福岡藩四代藩主黒田綱政によって建立され、外殿と内殿からなるそうで、外殿は南面して桁行五間と梁間五間で茅杉皮重ね葺きの入母屋造りだそうです。外殿中央部にはご神体の「宝珠石」を安置し、その後方に三間社見世棚造の内殿があるそうです。
外殿は権現岩のくぼみを利用して造られ、背面と左側面に屋根と壁が造られていないそうです。彦山修験道に関係する数少ない貴重な建造物として昭和63年に国重要文化財に指定されています。
御神体は、「宝珠石」で、御祭神は、英彦山権現と胴体で、伊弉冉尊(観音菩薩の化身)、伊弉諾尊(釈迦如来の化身)、天忍穂耳尊(阿弥陀如来の化身)の三神だそうです。御神体の「宝珠石」は、星野玉ともよばれているそうで、西暦547年(欽明天皇8年)に、突然、光輝くものが天から岩屋の岩上に降ってきたので、それを宝珠石と名付け岩屋神社のご神体として祀り神殿を造ったとあるそうです。
隕石だったのかもしれませんね。
宝珠とは、仏教用語で「何でも願いが叶う不思議な宝石」だそうです。
隕石だったのかもしれませんね。
宝珠とは、仏教用語で「何でも願いが叶う不思議な宝石」だそうです。
結構凝った装飾がなされています
現代の絵馬のようなものかな?
美しい絵画が奉納されていました
大化4年(648)閏9月19日には、村人に「星の玉・を茅薦(かやこも)で包んでまつれ」との神のお告げがあり、それ以来、閏年の旧暦9月19日(現在は10月19日)には、本殿内の宝珠石の薦を数枚残して取り替える「薦替えの儀」が行われているそうです。
見ると目がつぶれるとされ、宝珠石そのものを見た者はいないということですが・・・
見ると目がつぶれるとされ、宝珠石そのものを見た者はいないということですが・・・
初めて祀った人たちは見ているはずで、秘して語らずということだったのかな。
権現岩と岩屋神社本殿
針の耳と梵字岩
この岩の割れ目が、針の耳です。親不孝な人が通ると、上から石が落ちてくるとの言い伝えあり、割れ目の左の梵字岩には、修験道の開祖の役行者小角が彫ったという梵字がかすかに残っているとのことですが、私には判別できませんでした。
修験道では、擬死再生といって、修行の過程で、一度仮に死んで仏となり、生まれ変わることを目標としていたそうで、針の耳は、女性性器を象徴的に表したもので山伏たちは、この針の耳をくぐり、母胎内に一度回帰し、仏となって生まれ変わることだったそうです。
針の耳の先をひと登りで、境内社 熊野神社本殿(国重要文化財)、大きな窟の中に建っています。 貞享3年(1686)に村民が建立した板葺き三間社流見世棚造りの社殿は、天狗が蹴って穴を空けたという熊野岩の険しい岩場に立てかけた懸造りだそうです。
御祭神は、速玉男尊、泉津事解男尊、 櫲樟日尊です。
熊野神社本殿を過ぎると、多くの奇岩が現れてきます。
なかでも、烏帽子岩と見晴岩 は、双璧です。
なかでも、烏帽子岩と見晴岩 は、双璧です。
烏帽子岩の鋭くとがった、シャープな姿は、何ともカッコイイ!!
見晴岩は、ゲンカイツツジの見所です。
ゲンカイツツジは、県天然記念物にも指定されています。シャクナゲ科で、樹高1~2m程度の小灌木です。彼岸躑躅とも呼ばれ、不思議なことに、必ず、春の彼岸の中日には、薄桃色の花が咲くと言われているそうで、朝鮮半島の金剛山、対馬とこの岩屋一帯にだけ生育する珍しいものだそうです。
鶯窟
他界への入口であり、神仏の母胎内でもある窟に籠もり、瞑想・断食・読経などの修行をしていたそうです。窟名は、ウグイスの鳴き声のホーホケキョと法華経をかけて、鶯窟としたそうです。
奥の院
十三仏、ここで折り返して、大日社へと向かいます。
大日社
粟島社ともいい、御祭神は、少彦名命、大日国尊だそうです。
夏至の頃には東の浅間山から朝日が差し込むそうです。
夏至の頃には東の浅間山から朝日が差し込むそうです。
大日社の近くには、ばくち穴があります。
不動尊
2019年03月25日
岩屋山 ゲンカイツツジ
平成29年7月九州北部豪雨以来、宝珠山地区には、立ち寄ることがなかった。3月末、岩屋山のゲンカイツツジの時期、地元の人々の迷惑にならないように気を付けて、訪問することにした。まだまだ大きな傷跡は残っているようだが、人々の姿は、平穏な感じだった。
岩屋山 ゲンカイツツジ
高低差はほとんどなく、登山というより、散策といったほうが良いような道なのだが、非常に険しく、足場も悪いので要注意だ。滑落したら、ただじゃすまない。怪我どころじゃなく、命を落としてもおかしくないような断崖を縫うように登山道は続いている。
参道に入るとすぐに、大ツバキ(熊谷)がある。
ほとんど散っていたが、奇麗な花も残っていた
石段を登り
首無し地蔵(千体地蔵・五百羅漢)のところに登りあがったが・・・
なんとゲンカイツツジは、まだほとんど咲いていない・・・というより、花芽もないような状態で、ひょっとしたら、今日はスカ食らったかな・・・ ちょっと不安になる。
2010年の画像(ゲンカイツツジとお地蔵さんのコラボレーション)
なかなか趣があってよかったのだが・・・
洞門をくぐると
岩屋神社が姿を現します。
岩屋神社本殿
権現岩と岩屋神社本殿
針の耳と梵字岩
腹が閊えて出れなくなりそうなので、遠慮しておく
腹が閊えて出れなくなりそうなので、遠慮しておく
熊野神社にもお参りをして、いよいよ本格的なトレッキングへ
貝吹岩
烏帽子岩、シュッとした姿は、なかなかカッコイイ
景色はいいのだが、足場は狭く、滑りやすい。要注意である。
頭上、岩場の上のほうに、ゲンカイツツジが咲いている
ちょっと遠いが、まずまずの咲き具合だ
ゲンカイツツジが、次から次へと出てくる。
ゲンカイツツジ、満開
首無し地蔵での危惧は、必要無かった
ゲンカイツツジに、感謝!
見晴岩
見晴岩周囲は、ゲンカイツツジで埋め尽くされている
遠くには、浅間山も見える
いい時期に来た、満足!満足!!
鶯窟
舟玉地蔵
奥の院
お大師様
十三仏 ここで、Uターン
ばくち穴
大日社
不動尊
最後にもう一度、岩屋神社にお参りして
スミレ
2019年03月23日
バンザーイ! 基山 オキナグサ
バンザーイ!! バンザーイ!!
年初からの祈願が功を奏し、
末娘が看護師国家試験に合格しました!!
今まで、各神社の神様、お世話になりました。
年初からの祈願が功を奏し、
末娘が看護師国家試験に合格しました!!
今まで、各神社の神様、お世話になりました。
以下、年初よりお詣りした神社です
1/1 太宰府天満宮
1/2 大根地神社(大根地山) 甕冠神社(大根地)
1/3 砥上神社(砥上岳) 武宮(砥上岳)
大己貴神社(目配山) 高良大社(高良山)
大己貴神社(目配山) 高良大社(高良山)
1/6 日方神社(花立山) 七夕神社(小郡) 老松宮(小郡)
御勢大霊石神社(小郡) 隼鷹神社(小郡)
御勢大霊石神社(小郡) 隼鷹神社(小郡)
1/13 竈門神社(宝満山)
1/14 高良大社(2) 高樹神社(高良山)
伊勢御祖神社(高良山) 吉見嶽琴平神社(高良山)
伊勢御祖神社(高良山) 吉見嶽琴平神社(高良山)
1/27 太宰府天満宮(2) 綾部神社(みやき町)
2/2 六所神社(立花山)
2/3 太宰府天満宮(3)
2/9 水天宮(久留米) 北野天満宮(久留米)
2/10 飯牟禮神社(猪群山) 宇佐神宮
中津大神宮 奥平神社(中津)
中津大神宮 奥平神社(中津)
2/11 沖端水天宮(柳川) 仁比山神社(神崎)
綾部神社(2)
綾部神社(2)
2/16 筑紫神社 荒穂神社(基山)
御勢大霊石神社(2) 隼鷹神社(2)
竈門神社(小郡)
御勢大霊石神社(2) 隼鷹神社(2)
竈門神社(小郡)
2/17 飯盛神社(飯盛山)
2/23 牛尾神社(小城) 綾部神社(3)
2/24 高津神社(城山、岩門城跡)
3/2 藤原神社(井原、瑞梅寺)
3/3 御自作神社
3/16 宮地嶽神社
3/17 籾山神社
各神社の神様、本当に、ありがとうございました。
これで、思い残すことなく、来世に往くことができるかな・・・?
これで、思い残すことなく、来世に往くことができるかな・・・?
ともあれ、一安心です・・・
もう一つ、うれしいお知らせがあります。
Familiar Mountains である基山にて、オキナグサが咲き始めました。
・・・というか、展望台付近はまだまだですが、結構咲いています。
オキナグサだけでなく、基山は、春の花々、てんこ盛り
現在の基山、まだ、工事中ですが、草スキー場まで、車で登れます。
林道脇のツクシショウジョウバカマとサツマイナモリの群生地は、谷の中心部は、土砂崩れで岩肌が見えていましたが、両脇の斜面は、まだまだ、健在でした。
まずは一安心・・・ よかった
林道沿いには沢山のヤマネコノメソウ
サツマイナモリ
サツマイナモリ、赤しべも健在
ツクシショウジョウバカマも健在でした
駐車場周辺には、春定番のカキドオシ
フグリ三兄弟も勢ぞろい
オオイヌノフグリ
タチイヌノフグリ
フラサバソウ
基山は、ヒメオドリコソウが非常に多い山です。
なぜか、山頂付近にはホトケノザがない・・・
ヒメオドリコソウとホトケノザが、一緒に咲いているところを、あまり見たことがないような気がするのだが、何か理由があるのだろうか・・・
ハコベ
ニョイスミレ
ヒサカキのような気もするが、ちょっと違う
色合いも紫で・・・ なんという花なのだろうか?
ご存知の方は、教えてください
すべてに、バンザーイ!!
神様に感謝! 感謝!!
2019年03月22日
菜の花 (筑後川)
筑後川の土手沿いに、車を走らせて、菜の花見物だったのだが、現在、筑後川の菜の花は、絶滅危惧種となっているかのような様相である。
菜の花 (筑後川)
子供の時分は、土手いっぱいに、黄色い、菜の花の絨毯で敷き詰められていたのだが、堤防の補強工事のため、雑草が生えにくい改良芝への植え替えを進め、菜の花は、姿を消しつつある。
筑後川へ流れ込む支流には、まだまだ菜の花が咲いているところがあるが、寂しい限りである。
肥沃な土壌を好む菜の花にとっては、富栄養化が進んだ河川の堤防は生育に好条件であり、在来種を押しのけてでも繁茂するそうです。
菜の花は、地中深くに根を張り、この太い根が腐るとミミズが集まって穴ができ、ミミズをエサにするモグラが集まる。また、モグラを捕食するキツネが穴を広げて堤防を傷つける ・・・ といった仕組みのようです。
まさに、食物連鎖の結果といっても過言ではないでしょう。
菜の花が無くなるのは寂しいけれど、治水のためにはしょうがないのかな・・・
この素晴らしい菜の花の光景を、しっかりと心の中に焼き付けて!!
神社好きの私としては、筑後川の帰りに、大堰神社に立寄らざるを得ない。
正徳2年(1712)完成した床島堰はこの地方の農業振興に大きな恩恵を与えました。
床島用水路(江戸前水路)の分岐点に建ち、流れを見守っているのが、この大堰神社です。
床島用水路(江戸前水路)の分岐点に建ち、流れを見守っているのが、この大堰神社です。
大堰神社
御祭神
菅原道真神 罔象女神(みずはのめのかみ)
草野又六
高山六右衛門 秋山新左衛門 鹿毛甚右衛門
中垣清右衛門 丸林善左衛門
菅原道真神 罔象女神(みずはのめのかみ)
草野又六
高山六右衛門 秋山新左衛門 鹿毛甚右衛門
中垣清右衛門 丸林善左衛門
罔象女神とは、日本における代表的な水の神だそうです。
水を司る天神様・水神様を祀る神社ですが、筑後川を渡らせるという困難を極めた工事を普請総裁として指導した草野又六と、築堤を藩に嘆願した「五庄屋」(高山六右衛門、秋山新左衛門、鹿毛甚右衛門、中垣清右衛門、丸林善左衛門)の功績をたたえ、1925(大正14)年、祭神として加えられたそうです。
大堰神社の狛犬は、カールのかかったモコモコ感の強い狛犬です。
吽形 狛犬
ちょっとおしゃれな感じ・・・
筑後弁で、「なんば、つやつけとっとや!」といった感じ
大堰神社の裏に回って見渡すと、2018年の水害被害で、Vの字に折れ曲がった菅野橋が、そのままの状態で残っていました。
綺麗な菜の花に囲まれているのが、いっそう痛々しさを感じさせます。
昔から、利根川(坂東太郎)・吉野川(四国三郎)とともに日本三大暴れ川のひとつと言われ、筑紫次郎の別名で呼ばれることもある筑後川の治水は、重要課題だったのですね。
菜の花がどうとか・・・こうとか・・・言ってられないのかなぁ・・・