2019年02月

2019年02月28日

初御代桜 (ハツミヨザクラ)

初御代桜 (ハツミヨザクラ)

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那珂川市寺山田、岩門城跡のある城山の麓の一角を、ひときわ明るくピンク色に染めて咲き誇っています。

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ここは、個人所有の地だそうで、宮崎県から苗木を取り寄せ、ミカン畑に植えた切花用の桜を、現在の土地の所有者の方が観賞用にと整備して、見頃のこの時期に一般に開放されています。

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この桜は、「初御代桜(ハツミヨザクラ)」という種類だそうです。初めて聞いた時には、桜の種類の名前ではなく、愛称か何かでこのように呼ばれていたのかと思いましたが、初御代桜という種名だったということには、驚きました。桜といってもいろいろな種類があるものです。

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初御代桜は、宮崎県の「篠原邦明」氏が、寒緋桜(カンヒザクラ)に啓翁桜(ケイオウザクラ)を交配して育成されたものなのだそうです。

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一般的なソメイヨシノと比べて早咲きで濃いピンク色の花が咲きます。2月末に桜というのは、意外な感じもしますが、時候を先取りして、鼻高々、何とも気持ちのいいものです。

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なんといっても日本人にとっては、桜という花は、切っても切れない、心の花です。

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同じ敷地に、菜の花が咲いています

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マンサクの花も咲いています

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マンサクと桜という取り合わせは、滅多に無いよね

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ここには、ヒュウガミズキもありますが、まだ、蕾・・・咲き始めのようです

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咲くとこんな感じで綺麗ですよ

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丘の上まで登ると、古代祭祀跡の磐座ような大きな岩がありました。
神功皇后が三韓出兵のおりに造らせた用水路「裂田の溝」のすぐそばです。
 古代ここで、祭祀が執り行われていた・・・?
不思議ではないが、普通なら、山頂付近まで行くよね・・・

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いつまでも見飽きないが、そろそろお暇を・・・




kattenihanakotoba at 07:50|Permalink山行記・花散策 | 

2019年02月27日

風天山(別名・宮山)127.3m 綾部神社の裏山

綾部神社の裏山は、「風天山」(別名:宮山)といわれ、風天山公園として整備されています。久々に、登ることにしました。登るといっても、公園の中の築山散策といった感じかな?

風天山(別名・宮山)127.3m 綾部神社の裏山 

風天山とは、日本最古の気象台ともいわれている綾部神社の宮山の通称で、小高い山の東南部一面には、約500本の桜、約1000本のつつじが植えられています。4月 桜の花が咲きみだれる頃には、花見客で賑わうそうです。残念ながら、桜祭りの準備がなされている時期に登ったことがありますが、桜祭りには行ったことがありません。夜桜も見ることができるということなので、今年は、桜の時期に出かけてみようと思います。

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いつもの綾部神社から出発です。

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いつもの人造物の横に・・・

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綾部神社、春の三種の神花、ヒメウズ

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セントウソウ

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そして、奥横の斜面に、バイカイカリソウ

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株が増えてきています、まだまだこれからが本番

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遊歩道に、小さな太鼓橋が有るのですが、何のためにあるのか?ちょっと意味不明です。なんとなく、風情、感じはいいのですが・・・

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この春 新顔の スミレ いよいよ春ですね・・・

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整備された遊歩道
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広場に出ます   綾部城跡

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鎌倉時代の始まりのころには山頂には綾部宮山城があったそうです


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石祠もあります


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ここから先は、若干滑りやすくなります
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ヤマツバキ

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クサイチゴ

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石段を登って

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頂上三角点

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頂上には、石造りの小さな祠が建立されています。
風天山(宮山)には、白蛇伝説があるそうです。知らんかった・・・

寛政年間、佐賀領は、大雨洪水被害や雲仙眉山爆発、疫病流行、そして再度の大雨洪水による流屋や大干ばつなどで、災害疫病に悩まされていたそうです。
そのため寛政11年(1797年)8月、九千部山の祈祷地に安置するため、石の祠が造られたらしいのですが、引き上げが難しく、山田橋のたもとに祀られていました。
その後、神の意志に綾部宮山に移ると出たので、大正2年6月18日に宮を移しました。
その石の祠が、まだ山田橋のたもとにあったころ、目の赤い長さ40センチメートルぐらいの白蛇がいたのですが、宮山遷座の4、5日前から白蛇の姿が見えなくなり、近所の人たちが探しましたが、見つからなかたそうです。

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祠には、「風天神」の文字が刻まれています。

ところが、白蛇は村人の心配をよそに、風の神様より先に1キロメートルも離れた宮山山頂にきていたのです。
「九千部の祈り」の伝説に、隆信の残すところ一千部となった読経を挫折させた、十羅刹女九名皐諦(くなこうたい)の誘惑の化身が出現する前に、白蛇が這い出したというのがあり、この話からか白蛇は風神の使いといわれているそうです。
知らんかった・・・  日本初の気象台といい、今年は、綾部神社にまつわる面白い話を勉強させていただいています。

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みやき町、神崎市、鳥栖市方面などを遠望することができます

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綾部神社近辺の新顔  クサノオウ

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春ですね  アマナ

風天山  綾部神社  面白いぜ!!  






kattenihanakotoba at 08:33|Permalink山行記・花散策 

2019年02月26日

牛尾神社

牛尾梅林で、梅の花を堪能した後は、由緒正しい牛尾神社へ参拝
義経、弁慶とのかかわりもあるとか…

牛尾神社

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牛尾神社は、小城市の西外れ、多久市東多久町納所と川を挟んで東に鎮座し、延暦15年(796年)9月に、桓武天皇の勅宣によって創始されたといわれる平安時代初期の古い歴史を持つ神社です。
創建から1200年余りの歴史を誇る古社で、源氏との関わりがある牛尾別当坊は、箱根・熊野山・鞍馬山と並ぶ日本四別当坊の一つとして、威勢を誇っていたそうです。

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「牛尾神社参道」の案内がある石柱から、北北東に延びた参道

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程なく、「若王子大権現」の額が掛かる一の肥前鳥居

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この後参道は石段となり、梅と菜の花がお出迎え

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左手に金毘羅神宮

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ちょっときつい石段も、梅と菜の花で気が紛れます

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中程、右に中宮が祀られています。

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更に石段を上がると、市指定重要文化財・慶長2年(1597)建立の肥前鳥居


最後の石段を登りきると

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唐破風付き入母屋造りの拝殿、流造の本殿
御祭神は、「天之葺根命」

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源平の時代、源義経、弁慶、源頼朝とも関係があり、源義経や武蔵坊弁慶が、腰旗を奉納し、征夷大将軍となった源頼朝が、神領を寄進した神社だそうです。
比較的小さな神社ですが、素朴さの中に風格が漂う風情のある神社です。

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狛犬  阿

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狛犬  吽

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文化4年生まれの狛犬だそうで、若干、犬というより、豚感・・・
猪八戒のような形相です

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境内奥には、いろいろな石祠があります

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佐賀平野の展望も最高です。
梅林の奥に密やかに鎮座する、閑かな佇まいの気持ちの良い神社です。



kattenihanakotoba at 08:03|Permalink神社仏閣 | 

2019年02月24日

飯盛神社

決戦の結果発表は、約一か月後、もうしばらく、神社詣り、神頼みが続きそうで・・・
飯盛山下山後、飯盛神社参拝

飯盛神社

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飯盛神社は、飯盛山全体を御神体、神域とし、中世・近世を通じて、早良郡一円に信仰圏を有していたと考えられており、旧早良郡7ヵ村の惣社で、誉田別命(ほむだわけのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神としています。

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飯盛神社  下宮

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中宮社
かつては、上宮、中宮、下宮の三所が祭られていたそうですが、現在は現在は中宮(平成14年再建)、下宮のみ残されており、往時の姿をを偲ばせています。

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飯盛山山頂  上宮跡
その起源は不明とされていますが、貞観元(859)年の創建と言われ、上宮跡である山頂からは永久2年(1114)の銘を持つ瓦経が発見されており、信仰の古さを裏付けていて、さらに古代にさかのぼる可能性は高いのではないでしょうか。
また、西の飯盛山と東の若杉山は、夫婦山として古代から国生み伝説が伝わるとも言われています。若杉山に位置する「太祖(たいそ)神社」は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祀る神社です。
今は、縁結びのパワースポットともなっているようです。

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本殿(市指定)は天明6年(1786)建立

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飯盛神社の本殿の彫刻は、なかなかの優れものです。

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側面の虹梁に、絡みつく龍

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白虎

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玄武

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正面の注連縄の梁には、邪鬼? が噛り付いている
結構面白い構図である

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南北朝時代の宋風の石造狛犬(県指定)

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阿 吽 で材質が違うのだろうか? 色合い、趣が違う

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本殿左右には、月讀之大御神を祀る 西王子社

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天照大御神を祀る 東王子社

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東王子社の奥   歯固めの石

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生後百日の祝いである、「お食初め」の祝いの膳に用いる石だそうです

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10月9日には市指定の無形民俗文化財である流鏑馬が行われ、また、その年の豊凶を占うかゆ占は県指定の無形民俗文化財だそうです。

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また、ちょっと離れた所に、神宮寺真教院の跡地である文殊堂があります

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真教院は、鎌倉時代には奈良西大寺の末寺であり、この地方の真言律宗の中心として栄えていたそうです。

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堂内には、仏師堪幸作の文殊菩薩騎獅像(市指定文化財)が安置されているそうです。
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智慧を司る文殊菩薩を祀ることから、堂内に湧く『智恵の水』には受験へのご利益があると信じられています。飲んではみたけど、まだ実感は、湧きません。
今さら、なんちゃないでしょうけどね・・・

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また、文殊堂の周辺(左前方)には三基の梵字板碑があり、貞和5年(1349)の板碑(市指定文化財)は、文殊菩薩を表わす梵字(マン)をが刻まれています。

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文殊堂の近くには、シキミも咲いていました

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最後にもう一度お参りをして、帰路につきます
どうか・・・・




kattenihanakotoba at 07:57|Permalink神社仏閣 

2019年02月23日

ヒメウズ(姫烏頭)

綾部神社境内を彩る、春の三種の神器・・・的な花、最後はヒメウズのご紹介

ヒメウズ (姫烏頭) キンポウゲ科 ヒメウズ属 3~5月

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勝手に花言葉  「ずっと待っています」
山麓の草地や道ばた、やぶの縁や石垣などに普通に咲く。高さ10~30cm。茎に軟毛がある。根生葉は3出複葉で長い柄があり、茎葉は柄は短く、基部は茎を抱く。花は直径4~5mmで白色~やや紅色を帯び、下向きに咲く。萼片は花弁状、花弁はシベを筒状に囲んでいる。花弁の基部は小さく膨らんだ距になり、蜜をためる。 果実は袋果で2~4個上向きにつく。ヒメウズの根は、アルカロイドを含んでおり有毒である

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初めて見たのは、というより花であると認識したのは、綾部神社でした。春真っ先に咲くセントウソウの横で、ひょろひょろと頼りなさげに咲いていました。やや下向きに咲く花は、何とも悲し気で思わず支えてやりたくなるような繊細な感じの花で、よく見ないと見落としてしまいそうな花です。

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どこにでも咲いているような花なのですが、山野草に興味が無ければ、その存在さえも知らなかったでしょう。
自信無さげな、寂しそうな姿は、暗い影を引きずっている、影の薄い美少女的な感じです。アルカロイドを含み有毒というのも、近づきがたい感じを与え、暗い過去を背負っているのかな・・・と感じてしまう。

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花言葉は「不変」「志操堅固」「ずっと待っています」です。不変とか堅固という意志の強いイメージはないので、勝手に花言葉としては、「ずっと待っています」にしましょう。

 



kattenihanakotoba at 08:37|Permalink勝手に花言葉